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「書く女」 2006/10/2
二兎社 世田谷パブリックシアター 「書く女」とは、樋口一葉のことです。 新五千円札に肖像が描かれている、文学史で習う、あの樋口一葉。 と、私の一葉に対する認識は恥ずかしながらその程度のものでしたが、このお芝居を観て、時代を純粋にしたたかに生き抜いた ひとりの女性としてのなつ子(本名)像を思い描くことが来ました。 作・演出の永井愛は、一葉を造形するために、彼女の残した日記を丹念に読み込み、膨大な資料に当たったことだろうと思いますが、しかしそれだけではなく、書く女としての、自らの体験や信念を一葉に重ね合わせることで登場人物達が豊かに息をし始めたのではないでしょうか。 物語は一葉が初めて半井桃水(筒井道隆)を訪ね小説の指導を乞うところから始まります。極度の近視と緊張から、口ごもり後込みし伏しておじぎばかりする一葉の滑稽なほど初々しい姿。一葉19歳のことです。 やがて女流作家として頭角を現し、時代と人を鋭く洞察しやや辛辣でもある、知的女性の自負と貫禄。一方で家族のために商いをしたり金策に奔走したり病にもおかされたり、生活苦に押しひしがれそうになりながらも書き続ける強靱な意志。そして病で倒れる24歳秋までの、短くも凄まじい、まさに「恋して、借りて、書いた」半生でした。 ほとんど出ずっぱりで、まるで一葉が乗り移ったかのように見事に演じきったのが、寺島しのぶです。 パブリックシアターの天井の高さいっぱいに組まれたセットは、一見鉄骨のジャングルのように縦横の線が複雑に走っていますが、襖、障子、格子戸、階段、手摺りなど、日本の伝統的な建築や建具のイメージで、それらが自由自在に閉じたり開いたり組み合わさったりして、建物や部屋のうちそとを創り出します。(美術 大田創) またこの装置は劇の内容をも暗示しているようで、一葉の女性として、作家として、家長としてなど様々な生涯の側面を時間軸として縦の線に例えるなら、彼女の周辺の人々--家族である母、妹・文学の師田辺龍子、半井桃水・朋友達、記者、評論家etc--は横の線。 そして縦横の線は一場ごとに錯綜していきます。たった数年間とは思えない、広く、深く、彩りに満ちた半生を演じるのに、まさに相応しい舞台美術だと思いました。 それにしてもやはり気になるのは、一葉と桃水の関係。 出会った当初は明らかに師弟愛を越えた思慕の情が芽生えていたと分かりますが、お互いの境遇や社会的評価に伴って、行き来する感情も変化していく様が、台詞だけでなく座る場所や距離、振り向き方視線の漂わせ方などからも伝わってきます。 キャスティングも良いからですが、心憎い演出です。そして最後に一葉の口を借りて「厭(いと)う恋」と言わしめたとき、うーんなるほど そういう恋もありかと、唸ってしまいました。 一葉の日記「若葉かげ」に本当にそういう言葉があるのか、永井愛が名付けたのか、確かめてみたいところです。 「歌わせたい男達」の作者らしく、時代背景への目配りも利いていて、日本が軍国主義に向かっていく危険な臭いをいち早く嗅ぎつけたり、隣国に対する蔑視の風潮の中で、桃水の差別や偏見のない行為にその時だけは共感する一葉の姿は、社会を見据え自由や権利を脅かすものには立ち向かう覚悟の、作者永井愛の姿でもあると感じました。 公演初日の華やかな雰囲気の中で観たのですが、見どころも感ずることもあまりにも多く、長いこと心の中に眠らせていた作品です。このたび主演の寺島しのぶが各新聞社主催の数々の演劇賞に輝いたのを機に、思い起こしてまとめてみました。 # by kogeki_setagaya | 2007-02-28 23:38
こども劇場せたがや高学年・中高生例会より
おおまる企画 「ほのぼのおじさんず」 10/20(金)7:00~ 北沢タウンホール こども劇場せたがや高学年・中高生例会より パントマイムのヘルシー松田さんとスーパーミュージシャンタカパーチこと高橋修二さん、二人のステージです。1990年代に「でこぼこひょろりん」というお芝居を観た人にはお馴染みの両名です。 ソロのパントマイムが充分可笑しい松田さんですが、高橋さんの絶妙な間で絶妙な音が入るとますます可笑しい。同じくひとりで充分ヘンなミュージシャンの高橋さんですが、松田さんの芸に触発されてますます多芸多才振りに磨きがかかるという、相乗効果の舞台です。 内容は高学年から大人向きですが、この日は幼児・低学年の参加もOKにしていました。彼らはちょっと前に「ぼくピンチなんです」という人形劇を観て、“関西のノリ”とほめられた(?)強者です。ヘルシーさんが登場するところからもうノリまくり。 “なんか面白いことが始まりそう”という期待感だけでも笑ってしまうのですね。そんな風に幕を開けたものですから、笑いの渦の中で飛ばしっぱなしのステージになりました。 でもやはり高学年向きですから、男女の機微みたいなところになると、大きい人達の忍び笑い、と、笑いも棲み分けるのだなぁと実感。 会場からリクエストを募る「世界の民俗音楽」コーナーでは、一人オーケストラと異名を取る高橋さんが本領発揮。意地悪なリクエストも上手くかわし、大いに湧かせてくれました。 二人の芸は直球勝負ではありません。ちょっとオシャレでちょっとインチキ。とぼけて照れて、実力を遊び心に包み、柔らかく投げてきます。誰のことも傷つけない、温かい笑いです。 最後は松田さんの十八番ともいうべき「赤ちゃんが初めて歩いた日」という演目。短い中に人生を観るような、何度観てもジンと来るドラマチックな作品で締めくくられました。 老いも若きも笑いが一番。二人のステージは言葉も年齢も性別も国境も越えられる、万国共通の笑いの域に達していると思いました。
(こども劇場せたがや 幼児・低学年例会より)
くわえパペットステージ&人形芝居ひつじのカンパニー合同作品 「ぼくピンチなんです」 10月7日(土)3:00~ 梅ヶ丘パークホール くわえパペットステージのつげくわえさんも、ひつじのカンパニーの北村直樹さんも、それぞれソロで活動したり、他の人形劇団とコラボしたり、演出を担当したり、と、幅広く活躍していますが、この二人が組むと、これまたとびっきりのステージができあがります。 人形劇ですから、もちろん人形を使うのですが、二人も舞台に登場して、人形達と一緒に演じます。それが全く違和感なく観られるのが不思議。一目で100円ショップで買ってきたなと分かるチープな道具(それがまた可笑しい)で身を包んだ二人は、新しい会社を創ります。 「ぼくピンチなんです」という信号をキャッチしたら、ピンチを駆除しに向かうというその名も ピンチバスターズ! 出動した3つの事件が舞台で再現されます。 「も・もれちゃう」は特に男の子は大爆笑。 人形劇の中で映画のアップとロングのような手法-大きい人形と小さい人形を使う-は、よくありますが、劇画のような手法-コマ割りを飛び出して観る人に迫ってくる-や、スローモーションを使った迫力満点の演出が楽しめます。 第2話「は・はさまれちゃった」は、ネズミのお話し。 今度はアニメ風と言ったらいいでしょうか。色彩も鮮やかなアニメ調のネズミたちが、テンポ良く動き回るスピーディーな進行の中にちょっと「エッ」というブラックな味付けもあって、はらはらする展開。 終章「た・たべられちゃう」はとてもドラマチック。 狼に食べられそうになった子ダヌキをみんなで応援するのですが、肝心のピンチバスターズがなかなか到着しません。はたして子狸の運命は…結末はしんみりホロリとさせられる、タヌキの父と子の物語。 巧みな3話の構成に引き込まれ、子ども達の反応は良好。 「ほとんど関西のノリですね、世田谷の子というイメージと違っていた」と終演後うかがったつげさんの言葉。そんな会場とのやりとりも楽しい。 結局ピンチバスターズって何してたの?なんて言ってはいけないのですね。 ピンチは自分ではねのけて、ピンチをチャンスに変えてしまおう! というメッセージが、元気な笑いと共に伝わってきます。 パワフルなつげさんととぼけた味の北村さんの絶妙なコンビ。 これからも楽しいステージを届けて頂きたいものです。
人形劇団ひとみ座
人形づくりと劇づくりのワークショップ 秋から冬にかけて、こども劇場せたがやでは「舞台芸術家とこどもたちの出会いのワークショップ」を各地域で実施している。 11月11日は、弦巻で人形劇団ひとみ座の高橋さんの「人形づくりと劇づくりのワークショップ」が行われた。 集まった子どもたちは、幼児3人、小学1年生から4年生が15人、そして母たち。 受付でまず人形作りのキットを選ぶ。キットはウレタンで作る人形だが、種類はウサギ、オオカミ、ゾウ、ペンギン、カエルとある。それぞれ、好きなキットを選んでまずは人形づくり。ウレタンに書かれた線に沿ってはさみで丁寧に切り、ボンドで貼ってそれぞれの人形を作るのだが、同じキットでも作る人によって違う雰囲気の人形になるところが面白いところ。 人形作りを1時間弱で終え、からだほぐしのゲームをした後、グループに分かれて劇づくり。 私が入ったグループは、男の子5人と、大人3人のチーム。短時間でいきなり劇をつくりましょう、というのは大変なので、高橋さんから劇をつくるお題というか手がかりが与えられる。それは「大きなかぶ」のように、何かをみんなでひっぱるお話を作ること。 まず、何を引っ張るかを決める。小学生低学年の男の子らしく、最初出てくるのは「ウンチ!」。「いやあ、ウンチは引っ張りたくないなあ。他にないかな」と返す。子どもと活動をするとき、子どもの意見は尊重するけど、迎合はしないで自分の意見も率直に言うのは大事なことだと思う。 で、あーだこーだと言い合って引っ張るものは大きな桃に決まる。 それから、引っ張る人をどんな人にするか。これは小1ふたりと大人のひとりが作った人形がペンギンだったので、ペンギンの友達3人組、小3の3人がオオカミだったのでオオカミ3人組。残りの大人ふたりは大きな桃をやることに。ペンギンチームとオオカミチームが桃を引っ張り合って、その結果、桃が割れて中から赤ちゃんが出てくるというストーリーが出来上がった。 最後の終わり方をどうしようかというところで、ちょっとひともめ。「ペンギンたちとオオカミたちが仲良くなって終わりにしたい」という声が数人から出た。大人としても、そう終わるのが納まりがいいと思い、なんとかそうなるようにいろいろ提案をしてみた。しかし、オオカミのひとりが「仲良くしたくない」とがんと言い張る。 そうだよな、 仲良くなる理由がないから、 仲良くなる気持ちにはなれないよな と思い「じゃ、仲良くしないで終わろう」と提案してみる。 すると、がぜんオオカミチームがイキイキしだした。 「俺たち、親分と子分にしようぜ」 「じゃ、最初子分が桃を見つけて親分を呼ぶことにしようよ」 「最後は、カエルなんか食えるかって言って出て行くことにしよう」 (桃から生まれる赤ちゃんは、余分にあったカエルの人形を使うことにした) と3人でいろいろアイデアが出てくる。 ざっと練習したあと、みんなの前で発表。観客の前で人形劇をやるって、なかなかいい気分デシタ。
劇団うりんこ
「おとうさんはウルトラマン」 9/6 15:00~ 新宿文化センター小ホール 劇団うりんこは 「だってだってのおばあさん」 「ともだちや」 「のはらひめ」など せたがやの例会でもお馴染みの名古屋の劇団です。 今挙げた作品に共通しているのは、原作があること。それも、子ども達に人気の絵本ばかりです。こういう作品を舞台化するのは勇気の要ることだと思います。だって原作が有名であればあるほど、人気が高ければ高いほど、読んだ人の中にイメージが作り上げられていて、演劇という具体的な形になった時、違和感どころか反感まで持たれかねないのですから。 それでもうりんこは果敢に舞台化し、その作品のかずかずは、おおむね好評だと思います。たぶん、例え原作とイメージが違っていようとも、“うりんこの演劇世界”というものが確立しているからでしょう、と、私は思うのです。 この「おとうさんはウルトラマン」も、原作は宮西達也の人気絵本です。原作を手に取ったことのある人は「へえ、どうしたらあれが芝居になるの?」と思うでしょう。が、見事うりんこ流のお芝居になっていました。 タロウのお父さんは本当にウルトラマンです。リビングの正面の大きなテレビ画面には、ウルトラマンが怪獣をやっつけているシーンが、ニュースとして中継で映っています。ママとタロウは声援を送ります「パパがんばって!」 3分間できちっとお仕事を終わらせて、しばらくするとお父さんが疲れ果てて帰ってきます。 家にいる時のお父さんはあまりかっこよくありません。だらしない姿でソファーでごろごろしていたりママに叱られたり。でも、一旦事件が起こると、ウルトラスーツをびしっと決めて、現場に出動。 遙か宇宙の彼方M78星雲から来るとばかり思っていたウルトラマンが、実は日本の都市近郊のマイホームに駐在していたのですね。おまけに、無口なヒーローには奥さんと男の子がいました…と、ウルトラマンを普通のお父さんとして描いているところは原作と同じ。 それをホームドラマとして展開させ、タロウと同じクラスにバルタン星人の息子バルオがいるという設定で、バルタン星人の父と子の物語が絡むなんていうあたりは、まさにうりんこ流なんだなと思います。 インパクトの強い色彩と線でぐいぐい絵本世界に引き込んでちょっとほろっとさせてくれる西宮達也の世界よりも、少しクタッとした感じはありますが、全体に肩の凝らない感じで、たくさん笑わせてくれます。 笑いの中で心に残ったのは父の愛と父への愛。無条件に子供を大切に思う気持ち。 そして尊敬とか感謝とかいう物差しでなく、お父さん大好きという気持ち。 その両方があれば無敵なんだというメッセージがビンビン伝わってきます。ウルトラマン世代もそうでない人も楽しく見終えて楽しく帰ってきました。
こども劇場せたがや高学年以上例会
「ドラマ・リーディング「ガレキ」」 7/22(土)19:00~シアタートラム パブリックシアターHP「ガレキ」(出演者の写真やあらすじが見られます) こども劇場せたがやでは、初めて「ドラマ・リーディング」を例会に取り上げました。 まずドラマリーディングについて説明しなくてはなりません。 いろいろな場所で、いろいろな形で行われていると思いますが、世田谷パブリックシアターの場合は “同時代の戯曲と出会う機会をつくる” ことを目的として戯曲を選び、演出家と俳優を指名して、一週間ほどの稽古で舞台に乗せるというものです。観客は新しい戯曲に出会うことが出来るだけでなく、演出家と俳優が戯曲を中にしてどう出会い、短い期間にどう料理し、又は格闘したか、という生の場面に立ち会える、芝居好きにはたまらない試みです。 ポスターもチラシも出ない地味な取り組みですが、当日のパンフレットによると年に2、3回のペースで上演し、開館以来この作品で28作目とのことです。 今回例会として観た「ガレキ」の作者はデニス・ケリー。イギリスの劇作家でこの「ガレキ」が第一作目。 2003年にロンドンで初演された後、オランダ語、ドイツ語、イタリア語に翻訳されてヨーロッパで上演された(パンフより)とあります。日本では初演ということでしょうか。うむ、まさに同時代の戯曲。 演出家は赤堀雅秋。 出演はみのすけ、吉本菜穂子。いずれも、下北沢辺りを中心に活躍する「今をときめく」演劇人と聞けば、なんかこう、メンバーが揃ったという感じで、わくわくしてきます。 舞台はシンプルなリビング。ソファがあって、シーツのような白生地で出来た家族を思わせる人形たちが座っていて、点けっぱなしのテレビから音声だけが聞こえています。出演者はというと、人形と同じような白っぽい服を着て、なんと床を背中ではいずり回りながら台本を読むのです。 全体は9つの場面からなる、家族の物語でした。 一つの場面で語られる物語はそこで完結し、次には別の物語が始まるようでしかし微妙に重なるようでもあり、では物語の中の時間が行きつ戻りつしているのかな、と思って聞いていても、一筋縄ではいかない。 考え込むととても難しくなってしまうので、深く考えまいと決意しました。 それにしてもちょっとグロテスク。キリストのように自分を十字架に縛り付けて自殺を企てた父親。フライドチキンを喉に詰まらせて死んだ母親の胎内にいた女の子の話、ガレキの中から拾ってきた赤ん坊、「ガレキ」と名付けたその赤ん坊が、乳を飲むように自分の血を飲む… これはたぶん、聖書を下敷きにした寓話であるらしいなと感じると、うーむキリスト教の下地がないので寓意が読み取れない…と思考が停止状態に入りました。ちょっと辛い。 赤堀雅秋作・演出(ちょっと出演も)の作品を一作だけ下北沢で観たことがあります。 「ガレキ」の登場人物のように、下町につましく暮らす人々の家族の物語でした。 生活の臭いや音が立ち現れてくるような、超リアリズムの舞台美術、そして日々の生活が細部までこだわった台詞で語られます。だけどちょっとグロテスク。 「ガレキ」のイメージと重なる部分もある気がします。だから彼が起用されたのかな、と、納得しかけたのですが…決定的に何かが違う。 何だろう。 もどかしい思いです。 学校で古文の勉強をしていた頃のことを思い出しました。日本語なのに辞典を引いても読み返しても意味不明なもどかしさ。でもあの頃は「解釈と鑑賞」という優れものの参考書があったっけ。あああの手引き書がほしい! 格闘しながら最後まで見ると、なんと舞台上でアフタートークがあったのですよ! 戯曲を翻訳したパブリックシアターの学芸員の小宮山さんと、演出家、出演者達四人の生の声が聞けるという、またとない機会でした。 でもね、「解釈と鑑賞」という訳にはいかなかったのです。演出家も出演者も、大変苦労したらしく吉本さんは「むずかしい」「むずかしい」を連発していました。 この作品はこういう作品ですよと言う答えはどこにもなかったのです。 ただ面白いなと思ったのは、「あまり役に入りすぎないように、みのすけさんなんか、あぶなかったですね」という演出家の言葉でした。 どうやらドラマリーディングとは、役を演じてはいけないもののようです。そこまで行く前の段階の、ほとんど戯曲に出会った瞬間を見せてもらったようなもの。 今をときめくプロ達が悪戦苦闘を始める前の、第一印象みたいなものだ、という事だけは、なんとなく分かりました。 「稽古の後、三軒茶屋周辺のお店で遅くまで演劇論を語り合い、まるで下北沢のようでした」という赤堀さんの言葉に、作り手もスタートラインにいるのだと分かり、未消化、未完成は当たり前だと納得できました。 そこのところを楽しむという、そういう試みだったようです。 未知との遭遇で、今回はなかなか楽しめるところまでいけませんでしたが、こういうスタイルもあるという面白い体験ができました。
「雪の女王」
7/16(日)14:00~ 世田谷パブリックシアター パブリックシアター「雪の女王」(チラシや舞台の写真が見られます) 昨年の夏、アンデルセンの生誕200年の年にパブリックシアターが立ち上げた作品です。 イタリアの人気劇団テアトロキズメットの脚本演出家テレーサ・ルドヴィコが、日本で行ったワークショップからオーデションで6人の役者を選びました。その6人が入れ替わり立ち替わり様々な役をこなして、原作の物語をほぼ忠実にたどる「雪の女王」の舞台が誕生しました。昨年シアタートラムでの初演後、ヨーロッパ版を経て、今年は一回り大きいパブリックシアターの舞台での再演でした。 見る人の想像力をかき立てるシンプルな舞台装置も、そこを自由自在に使った、歌あり、ダンスあり、影絵ありという多彩な手法も、舞台袖の様々な打楽器と篳篥との生演奏が各場面を更に引き立てることも、個性豊かな6人の役者達のアンサンブルの良さも、初演の時のままでした。 思春期の子ども達に届けられる質の高い舞台が日本ではなかなか創られなくて残念に思っていましたが、この作品はちょうど小学校高学年から、中学生高校生ぐらいまでの多感な世代にぜひ観て欲しい作品です。その世代の観客ならきっと、主人公たちに自分たちを重ね合わせてみることができるでしょう。既にそこを過ぎてしまった観客も、もちろん充分楽しむことが出来ますが。 変わったところと言えば、初演と比べて説明的な箇所がそぎ落とされて内容がぎゅうっと圧縮され、上演時間も短くなったことに驚きました。 “悪魔が鏡を作りました”という導入から一気に物語が進んでカイの心臓と目から鏡のかけらがこぼれ落ちるまで、うねりながら駆け抜けるようなテンポの良さで繰り広げられるので、お話の筋道がくっきり浮かび上がったように思いました。役者さん達も、再演ならではの良さだと思いますが、めまぐるしく色々な役を演じるにもかかわらず、まるで役を楽しんでいるかのようで、思わず笑ってしまう場面が多々ありました。 一方で、、初演の時のなにやら混沌としたエネルギーを秘めた面白さというのも、捨てがたかったなと今になって思います。 七話からなる各場面がもっと丁寧に描かれていて(そこにハマってしまうと全体が見えなくなるおそれはありますが)鴉と許嫁のやりとりはもっと長々とやってて面白かったぞ、とか、王女と結婚した新しい王子は頭が良くてカイにそっくりと聞いたゲルダが、今度こそカイに会えるという期待と、でも王女と結婚してしまったのだろうかという不安に揺れ動く、あの場面が良かったなぁとか…そういう記憶が蘇ってきました。 これは無い物ねだりというのでしょうが。 つくづくお芝居は生き物だなぁと思います。初演に立ち会えたり、進化していく過程を見届けたりできるのもまた、観客の無上の喜びです。
劇団うりんこ「だってだってのおばあさん」
7/2(日)午後4:00~ 上用賀アートホール こども劇場せたがや幼児・低学年例会 佐野洋子さんの絵本を原作にした、こどものための舞台劇です。前半は「だってだってのおばあさん」、後半は「あのひの音だよおばあちゃん」のお話がもとになった休憩無しの2部構成になっています。 春の野原を背景にしたおばあさんの家の中。ネコとおばあさんが話します。おばあさんは98才。ネコがいくら誘っても、「だってだって…」となかなか腰を上げません。 そんなおばあさんの99才のお誕生日の日、ネコは緊張して街までローソクを買いに出かけます。間もなくおうちというところまで来たのですが…ケーキの上にはローソクが5本しかありません。でもね、 今日から私は5才! と思ったら、なんとおばあさんは体が軽くなって、本当に5才になってしまうんですよ。 絵本のほんわかした雰囲気そのままのようなネコ(長瀬 景)とおばあさん(柴田早苗)のやりとりがのどかで、温かい雰囲気に包まれます。ちょっと頼りないネコの初めてのお使いをみんなハラハラしながら応援したり、5才になったおばあちゃんのハツラツとした姿に勇気づけられたり。 小さなホールを平戸間使いにして観るので、舞台と客席が一体になって、なんだかみんなおばあさんちの住人になったような気分。だから、背景が雪に変わって冬のおばあさんちに変わった時には、ブルッと寒くなったような気さえしたのです。 長い長い冬の夜、ネコは自分がこの家に来た時のことをおばあさんに聞きます。まるで自分が生まれた時の話を母親にせがむ子どものようです。その結果、ネコは自分が特別なことは何もできないみっともない病気のネコだったことを知ってしまうのですが。 ちょうどその時、ネコが来た時と同じ音がして、なんと特別ステキな天才猫がこの家にやってきます。おばあさんとネコののどかな暮らしは軋み始めます。 だいたい一人の時はネコと呼んで何の問題もなかったのに、二人になったら名前が必要になります。しかも天才猫は何しろ天才ですから何だって出来てしまう。それって、本当にステキなことなのかな…?とは思うけれど、実に申し分ない猫なのです。なのに一緒に暮らすうちにいつしか疲れきってしまうおばあさん。そしてもともとのネコの方は密かに家出の決意までするのですが…。 背景がまた春の野原になる頃、天才猫は「寒い冬のあいだ置いてくれてありがとう」と置き手紙をしてどこかに行ってしまいます。つくづく天才は孤独なのだなぁと、感慨に浸る一方で、ネコとおばあさんのかけがえのない関係がちょっと羨ましい。 なんて思いながらふと見ると、傍らでは大きなお子さんを持つお母さんがタオルで顔を覆わんばかりにして泣いています。 原作の言葉を忠実に取り入れた脚本によるさりげない演出(西田豊子)ですが、たくさんのメッセージが込められていて、子どもだけでなく大人にとっても、心がざわざわしたり、その後で静かに自分と向き合えたりする、いい作品だったなと思います。
「雪の女王」バックステージツアー
7/16 パブリックシアター 7月16日、パブリックシアターで行われている「雪の女王」を観ました。 去年、シアタートラムで初演されたものが、今年はパブリックシアターで再演されています。これは、イタリアのテアトロ・キズメットという劇団のテレーサ・ルドヴィコさんが脚本と演出で、日本の役者さんが出演している舞台です。 公演を観たあと、こども劇場せたがやの希望者で、バックステージツアーとテレーサさんとの交流会を行いました。親子で30人くらいの人が集まりました。 まずは、2人のスタッフに誘導されて、また客席に座ります。 ホールについての説明が少し。ゆっくりホールを見回し天井を見上げると、ギリシャの野外劇場のような趣が感じられ(もちろん行ったことはありませんが)、天井に描かれた青空と雲にあそび心を感じます。 その後、舞台袖から舞台の上へ。たった今、観たばかりの舞台の上にみんなで立ってみます。床に白いフェルトの敷物が敷いてあるので、靴をそれぞれ手に持って。お芝居の最後にたくさん降った雪が、舞台の上にたくさん落ちています。 子どもたちは小学1年生から中学1年生まで、男の子が多かったのですが、みんなちょっと緊張しているのか静かです。 私たちのために片付けを待っていてくれている舞台監督さんに質問をしました。 「床に落ちている雪は集めて明日の公演でも使うのですか?」 「この公演ではマッチを使うので、ここにあるものはすべて防炎処理をしています。この雪の紙もそうです。燃えない特殊な紙でできていて値段が高いので毎回集めて、きれいにしてまた使うのです。」 お芝居というのは、上演されている時間だけじゃない、その前と後の時間とそれに関わるたくさんの人でできているんだなと思いました。 さて、舞台から階段を降りて、楽屋と奈落へ。奈落とは舞台の真下の部分です。パブリックシアターの舞台は高さが変わるんだよ、という話を聞いて楽屋の方へ。 着替えてくつろいだ雰囲気の役者さんにお会いして、「私はなんの役だったでしょう?」なんて声を掛けられましたが、子どもたちも「山賊の娘!」とちゃんと答えていました。 これで、バックステージツアーはおしまい。そのあと、ロビーでテレーサさんとの交流会です。 テレーサさんは、ベテランのイタリアの演出家という雰囲気で(そのまんまですけど…)とてもきれいな方で、目が合うとちょっとどきどきする感じ。私たちの質問や感想に答えてもらうというざっくばらんな交流会でした。 とはいっても、シャイな子どもたちですから、なかなか感想や質問は出てこなかったのですけれど、いくつかの質問にテレーサさんは丁寧に答えてくれました。もちろん、イタリア語は解りませんから、通訳の人が入るのですが、テレーサさんがイタリア語で表情豊かに手振りを交えて話される様子に、つい見とれてしまいました。 ふと、となりを見ると小学生の男の子が、テレーサさんの方を見ながら真剣な顔でうなずきながら聞いているので、微笑んでしまいました。 お芝居を観るだけでも充分楽しいけど、ずっと観つづけている子どもたちにとっては、表舞台だけではない裏の部分を観たり、表に出てこないお芝居に関わっている人たちに出会うのも、たまにはいいなと思いました。
夏が始まると、こども劇場はキャンプの季節を迎えます。
今年のこどもキャンプは、小学3年生から高校3年生までの子どもたちが24人、20才前後の若い大人(青年と呼んでいる)が13人でつくっていきます。7月9日、初めての参加者の顔合わせである全体会が行なわれました。 班発表と班での話し合い以外の時間は、とにかく遊ぶ。仲良くなるには遊ぶこと、と青年たちは思っているようです。 室内ですから、遊びといっても限られていますが、その中でおもしろかったのが「お城くずし」。 「岩くずし」とも言ったりしますが、班のメンバーで手を組んだりして固まって座って、対抗する班のメンバーがそれをばらばらにする、というもの。とにかく力ずくではがしたり引っ張ったり、くすぐりもありのようです。7、8人の班が、交代でお城になる方とはがす方をやってタイムを競って勝敗を決めます。 とはいっても、あまり勝敗とかタイムは気にせず、とにかくしがみつきあったり、それをなんとかはがすというやりとりがおもしろいようです。だんだん、ばらばらになっていって、それでもこのふたりは絶対離れないぞと手も足も使ってしがみついている、それってきっと心地良いのかもしれません。守ってあげてるし守ってもらっているという安心感なのかな。緊張してこの全体会に集まってきた子どもたちだったと思いますが、遊び終わったときには、ちょっとホッとしたような空気が流れていました。 こども劇場では、毎年キャンプをやっています。 継続した生の舞台鑑賞というのは、こども劇場ならではの活動ですし、それが入会のきっかけのほとんどです。キャンプというのはいろんな所がやっているし、「なんでこども劇場がキャンプやるんだろう」というのは、私の長年のギモンです。 でも、参加している子どもたちや青年たちにとって、こども劇場の一番の魅力はキャンプなのです。旅行会社が企画しているゴーカなイベントがあるわけでもないし、都会の子どもたちにとっての魅力的な豊かな自然体験というほどのものでもない。なんか、たら~と過ごしているだけのように、私たち年を重ねた大人には思えるのですが、それでも、このキャンプがイイようなのです。 それは、本来子どもたちが持っている「生きる力」「育ちたいという願い」が日々の生活の中で、余計なものがくっついて、自分たちにもわからなくなってしまいそうになる不安感があるのではないか。こども劇場のキャンプは、それが取り戻せるというか、素になれる「あなたはあなたのままでいい」ということが感じられる時間と空間と仲間があるのではないか、と思うのです。 そのキャンプの始まりが、「お城くずし」だったというわけです。 キャンプは8月12日から15日です。また、実際のキャンプの様子もお知らせしますね。
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