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はじめてのおしばい&こどものひろば

はじめてのおしばい&こどものひろば
6/29,30 生活工房(キャロットタワー内)



6月29日と30日の二日間、キャロットタワーの中にある生活工房で、
0・1・2・3歳の子どもを対象とした「はじめてのおしばい&こどものひろば」を行いました。

これは、生活工房が主催、こども劇場せたがやが企画で一緒に行った事業なのです。
今回で3回目の実施になります。


今回のはじめてのおしばいは、山の音楽舎の「ふわふわ山の音楽会」で午前中におこないました。これは、事前に往復はがきで申し込んで参加します。申し込み多数で、抽選になるほどの人気です。


午後は「こどものひろば」
自由に参加できるあそびのひろばです。
こども劇場で担当したのが、

ダンボールで作った囲いに、小さくちぎった新聞紙をたくさん入れた「しんぶんしプール」、
乳幼児向きの小ぶりな「ダンボール迷路」、
それから「牛乳パックの積み木」。

今回、おもしろかったのが「牛乳パックの積み木」でした。
数十個の牛乳パックの口をガムテープで止めただけの簡単な積み木です。ちょっとへこんでいたり、ゆがんでいたりする積み木ですから、そんなたいそうなものは作れません。とにかく並べたり、上に積んでいったり。

しかし、それがおもしろかったのです。
私たち、スタッフがとにかく上に積んでいると、かならず誰かがダーンと壊しにくるのです。また、積んでいるとダーン。牛乳パックは大きいので、すぐ積めるし、軽いので壊しやすく痛くない。積んでは壊す、積んでは壊す、そんなやり取りがおもしろくて私たちスタッフはこれでもかこれでもかと積み上げます。

他で遊んでいるのだけれど、こちらをチラッと見て積みあがっている牛乳パックを見つけると、突進してくる子どもたち。ほとんどヨチヨチ歩きの子どもなのですが、「見つけた!」時の表情がいいのです。


最初の頃は、親子で牛乳パックを積んでいて、他の子が積んでいるのを壊そうとすると、お母さんたちは『お友達が作っているのを壊しちゃだめよ』と止めていました。
でも「作ったり」「壊したり」をやったりやられたりも楽しいという雰囲気が広がっていって、だんだん子ども同士の関わり合いも増えて、「だめ」という言葉が聞こえない、楽しい「あそびのひろば」になりました。
# by kogeki_setagaya | 2006-07-13 08:49

雨の忍者修行

雨の忍者修行
こども劇場せたがや まちをあそぶ部主催
6/11 世田谷公園



6月11日(日)世田谷公園で、まちをあそぶ部主催の忍者修行が行われました。幼児の親子から小学生、そして大人のスタッフまで総勢68名で約3時間たっぷりとあそびました。


1時半、池尻小学校のミーティングルームに集合。

受付で、小さく折りたたんだ紙(あとでグループ分けする時に使うのです)をもらって中に入ると、4人の忍者が待っています。4人の忍者はアフタフバーバンの若いスタッフです。さっそく、風呂敷を忍者のようにかぶるやり方を教えてもらって、頭にかぶるとちょっと忍者に近づいた気分です。

室内での忍者修行をたっぷり遊んだあと、「さかさ隠れ」の修行で、グループ毎に雨の世田谷公園へ。「さかさ隠れ」というのは、公園の中に潜んでいる仲間の忍者を探し出し、指定された場所に、影忍者に見つからないように連れて行く、という修行です。


影忍者が誰なのか、何人いるのかもわかりません。わかっているのは「黒」ということだけ。

仲間忍者を見つけたらどうやって連れて行くか、みんなで作戦を立てます。

「二手に分かれて先に行ったグループが囮になって影忍者をひきつけておいて、その間に仲間忍者を連れて行く」

というのが、我が「ちかグループ」の作戦でした。
仲間忍者を無事見つけたあと、指定の場所に連れて行くとき、どこから影忍者が出てくるか、もうどきどきです。


プレーパークの小屋に、黒い合羽が掛けてあるのを見つけて、「影忍者が置いていったのかもしれない」と言ったのは4年生の男の子。指定の場所に行くときも、木立の中をのぞきながら進みます。「そんな狭い所にはいないだろう」と思うのは、大人の私。
子どものイメージの世界では、影忍者はいったいどんな風に見えているのでしょう

仲間忍者は大人、まちをあそぶ部のメンバーでしたが、指定の場所に移動するとき、子どもたちに「ちょっとここで待ってて、見てくるから」「こっち、こっちから行くよ」「隠れて!」と回りを囲まれ守られて進むのは、とてもうれしかったそうです。



さて、「さかさ隠れ」の修行が終わったあとは、「旗取りチャンバラ合戦」です。

大人対子どもに分かれて、新聞紙を巻いた剣で戦います。それぞれの陣地(今回は林の中でやったので、陣地は木でした)にそれぞれの旗を隠して、チャンバラをしながら旗を取ったほうが勝ち、というものです。

新聞紙の剣でたたいていいのは膝から下というルールがあるので、背が低くて膝から下が短い子どものほうが有利なのだと思うので、大人は豊かな人生経験を元に作戦を立てます。とは言っても、子どもだって闇雲に戦ったりしないのです。アフタフバーバンのスタッフが一人子どもチームに入ったこともあって、守りと攻めのそれぞれの作戦を立てて挑んできます。

で、2回戦やって2回とも子どもの勝利でした。
雨で地面がべちゃべちゃに濡れていて、滑って転びそうで大人はちょっと腰が引けていたかもしれません。


さて、このふたつの遊びの間、雨はずっと降り続いていました

午前中、準備と打ち合わせをしているときは「雨か、はぁ~いやだな~」と思っていたのですが、子どもたちと遊び始めたら、雨の中、外に出て遊ぶのが全然平気だったのです。というよりも「行こうぜ!」って感じです。こんな感覚になるなんて我ながらびっくりでした。

子どもたちも、雨の中外に出て行くのを嫌がったりためらったりした子は誰もいません。合羽を着て、意気揚々と出て行くのです。「あそぶ」ってなんだかすごいなって思いました。「雨の中いっしょに遊んだね」という共感がなんだか胸にあふれてくるような、そんな、雨の忍者修行でした。
# by kogeki_setagaya | 2006-06-25 23:54 | かめの日記

ガリバー オペラシアターこんにゃく座

「ガリバー」
オペラシアターこんにゃく座 
5/15 三軒茶屋シアタートラム



舞台の正面に、巨人ガリバーを想起させる巨大なブロンズ色のジャケットが、装置として据えられています。その胸の辺りにバルコニーのようなものを設えてある他は、シンプルな空間です。(美術 加藤ちか)

客席はステージの両脇にもできていて、演じ手を間近に感じることができますが、シアタートラムという小さなホールでは、どの席にいても臨場感、一体感を持つことが出来るので、巨大なジャケットを前に、観客は小人にでもなった気分で、開演を待ちます。


 さて、明かりが消えると、歌役者たちは、めいめい山盛りの衣服を抱えて登場し、そこら辺にぶちまけ始めます。ジャケット、セーター、シャツ、スカート、ズボン…あらゆるパーツの衣類が全て、微妙にトーンが違っていても、一口で言えば「生成り色」。役者が身につけているのも、楽士たちが身につけているのも、それぞれの組み合わせながら、色は生成り色。

その生成りの群の中から、三人のガリバーが歌い現れます。つまり「ガリバー」という人は3人いて、その他の出演者は、小人であったり、巨人であったり、馬の国ではヤーフであったりする、という具合に役が分かれています。

そして物語は、ガリバーが冒険を記録した、旅行記という形で始まりますが…。



「ガリバー旅行記」と言えば、「船乗りシンドバットの冒険」とか、「ホラ吹き男爵の冒険」などと同じ棚に並べて、時々取り出してはくすくす笑いながら読みたい本、というイメージでしたが、このイメージはいろいろな意味で裏切られます。

歌われる言葉は「会話」よりも「独白」よりも「記述」。

そりゃ旅行記ですからね。
ただときどき1人称でも収まりきれなくなります。

小人国では小人たちを、巨人国では巨人たちを、痛烈に批評するガリバーですが、ガリバー自身もこっぴどく批評されたりします。そのきっかけが漫才の手法。突然ボケとツッコミが現れて「ガリバーが小人国や巨人国に行ったんでなく、自分がおっきくなったりちっちゃくなったりしたんと違うんか?」という具合に。



台本は、本編を語りながら、巧みに解説やら批評やらもこなします。

゛スコットランド生まれのスゥィフトの人間に対する悲観または絶望は、一方でアングロサクソンの驕りでもありはしないか?゛

といった具合に。


また、訳者原民喜の原爆の詩までもを織り込み、まるで、本一冊を丸ごと、後書き、解説、訳者についての研究書までまるまる読み切ってしまうような、周到な台本なのです。 (台本 朝比奈尚行)

もはや滑稽譚どころではありません。人間が暮らしている上に原子爆弾を投下するという人類の愚行の中でも最も愚かな行為を悲しむ、原民喜の詩と、気高い馬たちに比べて下品で愚かな、人間の姿とよく似たヤーフの行いが重なってきます。なんだか、しんどくなってきます



それでも、2時間近いオペラを見入ってしまったのは何故でしょう。それが、演出(立山ひろみ)の力だったと思うのです。

生成り色の衣服が呼び起こす日常のイメージ。ロープに干し、取り込み、畳み、重ね、崩し、投げ合い…そういった日々繰り返す所作動作を積み重ねていくような演出が、歌われる言葉の抽象性、観念性に、不思議な厚みを持たせます。愚かであるか賢いか、体が大きいか小さいかに関わらず、人々は日々の営みを綿々と繰り返すことを象徴しているようです。

歌役者たちの歌う声と、メリハリのある動きと、例えば漫才のシーンのような息の抜けるシーンに助けられながら、なんとかこの難しいオペラと最後まで旅が出来たという感じです。



常に世の中にメッセージを発信し続けるこんにゃく座のオペラの中でも「ガリバー」はかなり手ごわい作品だと思いました。まだ解けない謎があります。

ガリバーはなぜ3人なのか。


何度か観るとそのつど発見があって、だんだん全貌が見えてくるといった類の作品なのかもしれません。滑稽譚ではありませんでしたが、スゥィフトの批評精神は現代にも受け継がれ、生き続ける形で、作品に結実していると思いました。難しい台本をあまり難しいと感じさせない、音楽(作曲 萩京子)と演出の力を借りて。
# by kogeki_setagaya | 2006-06-05 21:37 | いちごの日記

わくわくシアター  『本物をさがせ』

本物をさがせ


わくわくシアターでひそかに(?)行なわれているあそび、それが「本物をさがせ」。
首からカードをぶら下げて会場内をうろうろしながら、何やら捜している様子の子どもたちを見かけたでしょうか。
これは、こども劇場せたがやで6年間継続して行っている「まちをあそぶ」活動の一環なのです。

「まちをあそぶ」は「まち」を舞台にして、スパイや忍者などを題材に遊び心を通わせ合いつつ遊びあう表現あそびです。日常的には「黒マスク団」と名づけた「まちをあそぶ」のメンバーが、20人から30人くらいの子どもや大人たちと共に遊び会っています。
わくわくシアターではたくさんの子どもたちが来場するので、その面白さを少しだけでも味わってもらいたいと去年からはじめたのです。


さて、今年の「本物をさがせ」は『ふしぎな力(マジック・パワー)を持った人』を探すことがミッションでした。これは、5月の鑑賞例会が「マジックシアター」なので、それに引っ掛けたのです。


会場内には、なんだかあやしいいでたちの人がたくさんいます。
しかし、本物は4人だけ

本物を見分けるには合言葉が必要なのです。
合言葉は「マジックみせて」と声をかけると、本物なら

「マジックじゃないよ、魔法だよ」

と返してくれるのです。


今年は300人近くの子どもたちが参加してくれました。

幼児から低学年の子どもたちが多いのですが、ほとんどの子どもたちが、まず、声をかけようかどうしようかためらいます。知らない大人に声をかける経験はほとんどない子どもたちでしょうから、躊躇するのは当然です。

本物をはじめダミー(本物のようだけど実はにせもの)のメンバーたちは、「声をかけてね」オーラを出しつつ声をかけやすいようになんとなくその辺をうろうろしたりしています。
反対にちょっと大きい子どもたちがグループで来たりすると、なんだか忙しそうにばたばたして「声をかけにくい」オーラを出してハードルを高くしたりします。

子どもの年齢によってやり取りの面白さの内容が違うので、メンバーは子どもたちの様子を見ながらいろいろな関わりをするのです。



わくわくシアターは、大人はお店やいろいろな役割でばたばたと忙しく、なかなか楽しむ余裕はないのですが、せめて「本物をさがせ」という手法を使って、子どもたちとやりとりを楽しみたいと、日頃「まちをあそぶ」活動で『あそびごころ』を鍛えている(?)メンバーは、自分の仕事もこなしつつ本物やダミーとして楽しんでいるのです。

子どもたちと「あそび心をやり取りしつつ楽しむ」というのは、「まちをあそぶ」の時だけのものではありません。
「まちをあそぶ」活動であそび心をよみがえらせて(大人も数十年前は子どもだったのですから、あそび心はどっかにしまってあるはずです。)日常生活もあそび心豊かに暮らして生きたいものです。
# by kogeki_setagaya | 2006-05-27 20:35 | かめの日記

すてきな3にんぐみーもうひとつの話ー

「すてきな3にんぐみーもうひとつの話ー」
人形劇団プークほか 
3/24 紀伊國屋ホール



この劇を見たのは一月以上前です。都フェスの時期でしたから。

まず都フェスのことを言いますと、
正式には都民芸術フェスティバルという名前で、毎年春頃、”優れた舞台芸術に親しむ機会を広く都民に提供するとともに、東京における芸術文化活動の新興を図るため”都が助成して開かれるもので、今年で38回目を迎えるのだそうです。

その間児童劇の分野でも、様々な作品が創られ、上演され、今に残る名作も数々あるという、そういう都フェスです。いくつかの劇団のいくつかの作品が対象になることもあり、いくつかの劇団の人たちが力を合わせて一つの作品を創ることもあります。

今年は後者でした。

人形劇団プークが中心になりましたが、子ども劇場の長い会員なら知っている、「劇団はてな」のうそまことさんや、「人形劇団ひとみ座」のマウイチキチキを演じた中村孝男さんが思いがけない役で出演したりしていました。そのへんがいかにもフェスティバルという気分です。


さて「すてきな3にんぐみ」は、もう古典と言ってもいいトミー・アンゲラーの有名な絵本ですが、「もうひとつの話」と付いているところが気になります。チラシを見ると、アンゲラーの絵本よりも、ちょっと間抜けそうな黒いドロボーっぽい人の絵と、楽しげな赤い子ども達どっさりが描かれています。はてさてどんなお話しなんでしょう。


その前に「すてきな3にんぐみ」の粗筋を復習しますね。

あるところに三人組のドロボーがいてみなに恐れられていました。おどしの道具は三つ。ラッパ銃と、コショウ吹きつけと、真っ赤な大まさかり。三人はこの道具を使って大暴れ。金銀宝石をどっさり貯めますが、あるとき、さらってきたみなしごのティファニーちゃんに宝の使い道を聞かれて困ってしまいます。そんなこと考えたこともなかったから。そこで大きなお城を買って、ティファニーのようなみなしごを集め、みんなで暮らすことにしましたとさ。


とまあ、こんなお話しですが、この三人組に憧れた三人組がいました、というのが今回のお話し。ラッパ銃と、コショウ吹きつけと、真っ赤な大まさかり(絵本そっくりの道具が出てきます)で脅すのですが、ドジばかりやらかします。一方チャネルさんちの大きなお屋敷の中には一人娘のティファニーちゃん。実業家のパパとオペラ歌手のママ(プランダって言うんだよ)は、大金持ちで何でも買ってくれるけど、いつも忙しくてティファニーは愛犬(クッチだって!)とばかり遊んでいる。そんなティファニーと三人組が出会ってしまうのです。

会場大沸きの大騒動が起こるのですが、続きをあまり詳しく書いてしまうと楽しみが無くなりますから、さてこの後はどうなるでしょう…ということにしておきますが、登場人物を紹介しただけで、ピンと来る人もおありでしょう。そう、なにやらブランドのもじりみたいな名前ばかりです。

パパからも、ママからも発表会に着る豪華なドレスをプレゼントして貰って、でも二人とも忙しくて発表会を見に来ては貰えない。そんなティファニーちゃんが本当に欲しかったものは?着たかった服は?三人組はティファニーちゃんから何かを盗んだのでしょうか?それとも何か大事な物をプレゼントしたのかな?



実はこの作品は都フェスの一環として上演された後、夏にはプークの作品として紀伊国屋サザンシアターで再演されることが分かっています。なので、この続きを知りたい人は夏にホールに出かけてご覧になるといいですよ。フェスティバル版ではないので、うそまことさんや中村孝男さんは出演しないでしょうが、結構楽しい舞台になると思います。何より、テーマがはっきりしていて分かりやすいところが良いと思いました。


今までこのブログに登場した作品を振り返ると、
歌わせたい男たち」は、見る人に、自分の目でしっかり見つめて自分の頭でよーく考えてみて下さい。と迫ってくるようなお芝居でした。
おばけりんご」は、一つの物事もいろいろな立場から色々なものの見方が出来ますよと教えてくれるようなお芝居でした。
この「すてきな3にんぐみ」は、「皆さん、大事な物はこれですよ。これを忘れちゃダメですよ」と気付かせてくれるようなお芝居です。


どれも心に残り、どれも楽しい。生の舞台はステキです。ひと月も前に見たのに、いえいえそれよりずっと前に見た作品でも、時々思い出しては、ニヤニヤしたり、考え込んだり…何度でも楽しめますからね。
# by kogeki_setagaya | 2006-05-13 20:47 | いちごの日記